籐家具づくりへの思い
結局、ここに居るみんなが、
籐家具づくりに魅せられたのかもしれません。
祖父の代からここ長岡で籐家具を作っています。小さい頃から現場を見ていました。家に帰ると、籐家具づくりの職人さんたちが、黙々と仕事に励んでいる。それは、極々あたりまえな日常の風景でした。高校を出てコンピュータ系の専門学校に進学したのですが、ちょっと自分が進むべき道じゃないなどうしようかなと思っていた時に、父親(先代)に手伝ってくれと言われて、それじゃぁっていうことで籐家具づくりをはじめました。ちょうど同じ頃に、東京で建築の勉強をしていた高校時代の同級生が、授業で学んだ籐椅子の名作を作っているのがワイ・エム・ケー長岡であることを知り、工場を訪ねて来てここで働きたいと言ってくれました。スタッフの和田と私は、父親をはじめ当時の先輩たちに、一から籐家具づくりを学びました。性に合っていたのか、そのまま月日は流れて、現在は家業を継ぐというかたちで代表となっています。妻とスタッフの5人で籐家具づくりに日々励んでいます。
優れたデザイナーたちの情熱が、
ワイ・エム・ケー長岡の「技」を高めてくれたんです。
当社の前身・山川ラタンは、日本を代表するモダニズムデザイナーの剣持勇氏をはじめ、渡辺力氏、豊口克平氏ほかのデザイナーの皆さんと組み、1960年代の籐家具ブームを牽引しました。一時は職人を7、80人も抱えるほどだったそうです。「デザイナーのアイディアや感性に、職人の技術や知恵で応える」つまり職人とデザイナーが向き合いながら、お客様や時代が求めるものを作り上げていく。その切磋琢磨の姿勢が、ワイ・エム・ケー長岡の「技」を高めてくれたのだと思います。そして、それは当社の最大の強みであり、財産です。
いいものを作ること、いい仕事をすることで、
つなげていくしかないんです。
現在も、全国のホテルや旅館で当社の籐椅子を使っていただいています。時折、そのデザインや座り心地を気に入っていただき、宿泊者の方から「同じ椅子がほしい」「製作現場が見たい」などとお問い合わせをいただくことがあります。ものづくりに携わる私たちにとって、このようなお客様の声に勝る喜びはありません。経営の先行きや後継者不足など、問題は確かに山積していますが、私たち職人は、お客様が愛着を持って長く使っていただけるものを作り続けていくことで、次のステップへと、そして次世代へと、つなげていくしかないんです。いいものを作り続けること、いい仕事をし続けることが、私たちの使命です。
伝統の製法を先達から受け継ぎながらも、
常に新しいことに挑戦しています。
今後「籐家具」という文化・産業を守り育てていくためには、先輩職人の方々が築き上げた技術を守り継ぎながらも、常に新しいことにチャレンジしていかなければならないと思います。具体的には、金属や布、プラスチックなど、籐と異素材を組み合わせた製品の開発、商談会や展示会などへの出品、異業種との交流、若いデザイナーや建築家へのPRや提案など、籐家具の持つ可能性をどんどん追求していきたいと考えています。
- 産学共同プロジェクト「長岡籐家具研究会」
- ニイガタIDSデザインコンペティション大賞受賞作品